SAWシリーズ イッキ見!ジグソウはただの殺人犯ということでまとまりました。
7月に入りあっと言う間に今年も折り返しですね。
どうも、やぎやまです。
AmazonプライムでSAWシリーズが1以外無料でやっていたので、ここ最近ずっとそれを一気見していました。
グロ耐性のあるやぎやまでも流石に連日SAWシリーズはきついものがあります。
というか最早3あたりからは「いかにスプラッタシーンを作るか」みたいになっている気がします。
で、そのSAWシリーズを一気見していて思ったことを書いていこうかと思います。
あらすじやらは特に書きません。
この映画のテーマ?というかジグソウことジョンがゲームを仕掛ける理由って、「生に感謝しない者への試練」みたいな感じじゃないですか。
初めの方はまぁ・・あーなるほどねぇ・・って感じで見てたんですけど、5だか6だかの回想シーンでジョンがホフマンに向かって言っていたセリフなんですが、
「殺人は不快極まる」
え?いやいやいや、お前殺人鬼やんけ。
何を「自分は殺してはいませんよ」みたいな言い方しちゃってんのかな?と。
映画なんだからツッコんだら負けなんですけど、わかってるんですけど、改めてシリーズ通して観てたら この映画を私はどういう気持ちで観たらいいのだろうか・・と思ってしまいました。
確かに作中「生に感謝していない」風の人はまぁ出てきました。
アマンダは薬物中毒でしたからね。
これはもう納得せざるを得ない感じはします。
ですがアマンダのゲームに出てきた男性はどうなのでしょう。
トラップ解除のための鍵を腹の中に入れられて薬で動けなくされていたあの男性。
彼は抵抗も出来ずにアマンダに殺されてしまった訳なんですが、フェアじゃないですよね?
生に感謝しない者を改心させたいのなら単独でゲームさせるべきでは。
あとゴードン先生とアダム。
ゴードン先生のクリア条件は6時間以内にアダムを殺す。
アダムのクリア条件は自分の死を見るか逃げ出すか。
これってどっちかが絶対死ぬやつじゃないですか?
生に感謝して死ねということでしょうか?どうでしょうか?
しかもゴードン先生に至っては人質取られてますからね。
人質は卑怯じゃないか。
クリア出来なかったら奥さんと娘殺されるってやつでしたが、奥さんはじゃあまぁいいとして(よくないけど)、娘のダイアナは?
そんな小さい子が生に感謝どうこうの対象に果たしてなるのだろうか?
SAW2では館から脱出するというゲームでしたが
右上のダニエル君以外はまぁね・・麻薬密売人とか詐欺師とかなので、仕方ないとして、ダニエル君は完全にとばっちりじゃないですか?
刑事の父親が違法捜査やらでいろんな人の恨みを買っているからってその息子をゲームに参加させる意味はあるのだろうか。
それとも父親が生に感謝しない生き方をしていたらその家族も連帯責任ということだろうか。
とまぁこうして書いていくと本当キリがないんですけど、相手を殺して自分が助かるみたいなゲームが結構あるんですよね。
それって直接でないにしろ殺人なのでは?と思うのです。
そもそもジョンだって子供を亡くしてガンで余命宣告を受けて自殺しようとした癖に他人に生を説くなんておこがましいにも程があるのでは。
子供を亡くして辛かったのは奥さんも同じだったのにゲームにかまけて放っておいたのではなかったか。家族を蔑ろにすることは「生を尊重している」と言えるのか。
その上 自分が死んだ後の後継者を量産してはいるが正しくゲームを出来たやつが一人もいないのだが。
クリア出来ないゲームをさせるやつやら、ゲームの経験もしてないのに後継者然として威張るやつやら、ゲームにすらかけずに殺そうとするやつやら。
はるかな高みから他人を品定めして「生を尊重しない者は生きるの値しない」とか偉そうに宣っているが、人質やらに使っている全然関係ない他人の生をジョンは尊重しているのだろうか?
そのセリフは最早 盛大なブーメランではなかろうか。
なんかこう・・中途半端な感じがするんですよね。
「生に感謝しない者」「生を尊重しない者」の輪郭を明確にしてもらいたい。
自殺未遂常習者とか、麻薬中毒者とか、他人を食い物にして生きている奴とか、そういう分かりやすくダメな奴に絞ってくれればこっちも気持ちの持っていきどころがハッキリするんですけどね。
たった一人の「生を尊重しない者」を改心させるためなら他の関係ない人が何人死んでしまうことになっても仕方ない、という風に見えてしまうので結果ジグソウに対しての気持ちの持ち方が「偉そうなこと言ってるけど結局ただの殺人犯だよね?」となってしまうのです。
改めて見返してみると前とは違う感想や見方になって面白いです。
みなさんもよかったら見てみて下さい。
ではまたお会いしましょう、やぎやまでした。